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神々賛歌
日本人は祭りに血が騒ぐ。
祭りは神への深い信心から生れる『祈り』である。
その姿、かたちは様々であるが、そこには日本人の信仰と習俗が見える。
この聖なる行事は、荘厳・華麗・静動・明暗など、天地宇宙の陰陽が表現されている。
祭りの主役は神である。
祭りとは、「神を祀ること」で、神は古代いつどのような形で存在するようになったのかわからないが、仏教のように、経典がないのも大きな特色である。その点では、仏教にない無形の神秘性がある。
人々は古代から森羅万象に霊性が宿り、宇宙は神霊の意思が働いていると信じてきた。
自然現象を神の意志の現れと信じてきたのである。
雷は「」で神の怒り、火山の噴火は、「御神火」で火の神の荒ぶりを、洪水は水の神の荒ぶりと捉えた。尾形光琳の代表的な作品『風神雷神』もこのような所から生まれたと思われる。
このことは自然現象に限らず、人事・社会など世の中はすべてにわたり、神霊の力が大きく作用している、と信じてきたからである。
人が神に背けば、神の怒りを買い、人が神に応えれば、五穀豊穣・平安・繁栄などの恵みが与えられる。神への願いを込め、その強靭なパワーを集団で神に届ける。そのステージを特別な日に、特別な場所を設け、神をお迎えして最善の心尽くしで感謝する。これが祭りの起源である。
「祭り」という言葉については、様々な説があるが、民族学者の柳田国男先生は、「マツル」の語源を、「まつらう」ことで、「まつらう」とは神様に、勤仕・服従・奉仕することで、「神霊を呼び出し迎えてこれらに、供献侍し、以ってそれを慰めまいらしめること」と述べている。
古代から人々は、神々が何処からか、時を定めて宿り奉るものと信じ、神の訪れを、「待つ」のが祭りの起こりだった。
神々の訪れの語源は、「音ずれ」に発している。
カミ・モノ・ヒトがやってくる時、古代人は着物などから摺れる音を感じ、この、「音ずれ」が、「訪れ」の意味だと考えられている。
神々の、「オトズレ」の気配を感じるまで人々はじっと待ったのであり、その待つ場所が庭であった。これを神が憑るところととらえた。神が訪れるには庭は、斎庭〈ゆには〉といわれ周囲の木々〈神社の森=杜〉には、山石があり、磐座が置かれてあった。
神が訪れれば、神々に永くとどまっていただきたいという願いから、人々は歌ったり踊ったり、それに伴い、酒や食事を用意した。そしてそうした空間を神と共有できることを喜びとした。
神々を、どの様な場所で、どのような形でお迎えすることがベストなのか、その知恵と工夫が祭りのさまざまな形となっていったのである。
神霊は人の招きに応じてやって来て、何かにとりつくのだが、それを依代とか、御霊代・御正体と言い、一般的には御神体現している。
神は、山や山石・滝・樹木・鳥などに神が降りてくると信じられていた。また神社では、鏡・剣・勾玉と考えられていた。
日本には「八百万の神」といわれるように、古代からあらゆるものを神としてきた。古代においては、大自然の山川草木の中に神が宿ると信じられていて、自然現象と不離一体であった。従って古代には今日でいう「杜」という建物がなかったが、仏教伝来が影響して、今日の神社という建物が作られるようなった。
寺院には仏像が祀られているが、神社には神像はない。人が自然の中に神を見出し、祈りをしたのである。今日で言う神札があるだけである。
神は神社などで行う儀式的な「祭礼」と俗に言う「祭り」に分けることができる。
祭りには様々なものがあるが、共通しているのは、人が神との共有の空間を持つということである。
祭りの形を大別すると民俗芸能の色彩の強いものとしては、神楽・獅子舞・田楽踊・御田植神事・太鼓踊り・念仏踊り・盆踊り・鹿踊り・奴踊り・春駒・浄瑠璃・舞楽・能・狂言・人形芝居・歌舞伎などがある。また語りの伴う琵琶・鼓・三味線などもあり、変わったところでは闘牛や綱引きなどもある。
これらは色・音・衣装のほか、そのステージというべき、神輿・山車など、時代や地域によって工夫され、変遷を遂げている。
これらに伴う、宴も神に捧げる食べ物・飲み物もにも工夫が行われるようになった神事には、「清・明・浄」は重要な要素である。心身のの汚れを取り除く、「浄め」である。
「ケガれ」は、「気枯らし」の意味で、「ケ」は「キ」の交替語で生命力を意味する。
こうしたことから、祭りには、この神事に際し、身を清めるということで、俗にいう厄払いを行うが、それが祭り中に取り込まれていて水や塩や火が登場する。
今日では時代の流れといおうか、祭りに対する世情が大きく変わってきて、伝統的な祭りの他にいわば祭りを単なるイベントとしてとらえるものもある。
また祭りへの参加意識にも変貌が見られる。
しかしそれは時代の要求であり、ことに観光と結びつくよりになり、今日の新しい祭りの姿となっている。
祭りとは本来、それらの地域の人々が、まず神に接することの喜びが根底にあってこそ盛りあがるのが本来の姿である。
この度の私の作品、「日本の祭り」は、墨の美しさを通して、日本の祭りを私の視点で制作したものである。
各都道府県から一つ選び、四十七点に選択するということは、想像以上に困難な仕事であったが、私なりのイメージとストーリーを前提に、祭りの知名度にかかわらず、私が描きたいもの描くということに徹した。金田 石城 |
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